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プッタパルティ 11月23日日曜日

バス車内が騒がしくなってきてそろそろ終点のプッタパルティに到着するのではという頃になって目を覚ました。
横には川が流れていて、道路は未舗装の赤い土である。
外は雨が降っているようだ。
これから街中に入っていくのであろうか?
と考えているとバスが止まり、乗客が降りだした。
未舗装路ですけど?
プッタパルティはここじゃないよね?
と勝手に決め付けていたが、バスのスタッフがここで降りろと合図をしてくる。
「プッタパルティ?」
と質問になってない質問をすると、
そうだそうだとスタッフは首を立てにふった。

後でわかったことであるが、当日はお祭りのためバスステーションがあるメインの舗装路は歩行者天国となっていて1本外れた未舗装路が臨時バス発着所になっていたのである。
しかし、このとき何も知らない僕らは未舗装路の道路を見て、自分たちの能天気さで行けば何とかなるでしょと考えていたことに少しばかり後悔していた。
プッタパルティに関する知識は、バンガロールからバスで4時間程度の町で、手から釘とか時計とか出してしまう宗教家サイババの本拠地であり、サイババの作ったアシュラムという修行道場のような施設があり、その道場に集まる世界各国の人々向けにホテルやレストランがあるらしいということだけであった。
「サイババの誕生日でホテルがいっぱいだったら野宿かもね。」
などと冗談を言っていたが、本当に野宿になりそうな気すらした。

バックパックを背負い、バスの乗客の後をついて歩いていくと客引きが寄ってきた。
客引きがいるのでホテルはあるようで、ひとまずホッとした。
客引きについていき、ホテルの部屋を案内されサイババ誕生日でハイシーズン料金だということで2000ルピーとなった。
「トリプルの部屋の準備が夕方終わるからそれまでシングルルームで荷物おいてシャワー浴びてね。」
ということだった。
荷物も持たずにスタスタ歩いていた客引きに
「チップくれ。」
と言われ、腹が立つもコインを渡そうとすると
「50ルピー。」
などと言ってきたので
「はぁぁぁん?」
とでかい声が出てしまった。
寝不足だと怒りの沸点が低いらしい。
客引きは恐縮したように
「10ルピー。」
と言い直したが、
「お前僕らのために何かしたのか?」
と言っても、
「10ルピー。10ルピー。」
向こうも引き下がらない。
面倒になったので10ルピー渡して帰ってもらった。

宿に荷物を置き、早速サイババアシュラムに向かった。
宿のスタッフから聞いた方向に進むとアシュラムがあった。
アシュラム前はすごい人の数である。
突っ立っていると警備員に笛を吹かれ、止まらないで進んでと促される。
アシュラムの入り口から長い行列ができていた、これは入場のための順番待ちであった。
男女別の列になっていて僕らも並んで入場しようかと考えたが、列の最後尾がまったくわからないほど遠かったし、ゲートオープンの時間もわからなかったのでひとまず「見」の態勢に入ることにした。
腹も減っていたのでアシュラム入り口が上から見渡せる3階のカフェに入り、朝飯をとることにした。
時間は8時半であった。

サイババアシュラム前。サイババ83歳の誕生日。

サイババアシュラム前。サイババ83歳の誕生日。

アシュラム前を行きかう人々を見ていたが、それはそれはすごいカオスっぷりであった。
なんとか行列に横入りしようとする信者と、横入りを阻止しようとする警備員との攻防がなかなか見ごたえがあった。
結果は警備員の敗退であろう。
列を守る警備員が5mおきくらいに並んでいるが、絶対に横入りさせない強固な警備員の多くに混ざって押しに弱い警備員が一人いて、その穴から他の警備員が見てない隙にズル賢い信者たち横入りしていた。

アシュラムの門が開いたのは10時過ぎであった。
セキュリティが厳しいようで大して進まず11時過ぎても行列は途絶えることがなかった。

カフェからの見物も飽きてきたので、アシュラムに潜入することにした。
路上に出てみると上から見ていたのとは全然違うカオスっぷりで警備員の笛がやたらとうるさい。
行列を見渡してみるもやはり最後尾が見えずにここでも「見」の態勢で様子見とした。

再度アシュラム潜入に挑戦したのは13時過ぎであった。
女性の行列がほぼなくなったのが確認できたからだ。
相変わらず男性の行列は最後尾が見えなかったが・・・。
外から見えるアシュラム内の照明を集合場所に決めて、マメと別行動になった。
「検討を祈る!」
そう言ってマメは人ごみの中に消えていった。

男性の行列の最後尾までアシュラム入り口からたどっていくと、1kmはあったのではないだろうか15分ほど歩いた。
そこで、昨日電車窓口で青年が教えてくれたように前の人との隙間を少なくしジリジリ前に進んでいった。
僕の後ろにはおっちゃんが並んでいたのであるが、進んでいくと横入りを試みる輩が増えてくるので後ろおっちゃんは僕に密着してきた。
本当に密着である。ピタッとくっついている。
後ろを振り向くとおっちゃんと目が合い
「これがインドに正しい行列の仕方やぞ!」
と目で語ってきた。
目で語るとはさすがはサイババの信者である。
おっちゃんに習って僕も前の青少年にぴったりくっついた。
前はインドの青少年にピタ、後ろはインドのおっちゃんとピタ。
インド的な体験である。

多少の横入りも許すも初めてにしてはなかなかの好セーブだったのでないかと自分で思いながらも、1時間弱ほどでアシュラムに潜入した。
マメもすぐに見つかり、話をすると彼女は1分ほどで中に入れたようで中ではヒンドゥー教の神様がすぐそこに祭ってあり、それにお祈りをする信者の方々を見学していたらしい。
マメもなかなかインド的な体験をしていたのである。

アシュラム内はとても広く、宿泊施設、ホール、ショッピングセンター、博物館などあった。
サイババの話を聞くにはその中でも再び行列を作る必要があったが、寝不足と空腹と暑さで断念。
サイババカレンダーを購入し、アシュラム外に出た。

プッタパルティの通り。上から見た図。

プッタパルティの通り。上から見た図。

プッタパルティの川原では、洗濯物が盛大に干されていた。

プッタパルティの川原では、洗濯物が盛大に干されていた。

昼飯食べて、町をブラブラしたりネットカフェに入ったりで宿に戻る。
宿のトリプルルームはまだ準備できていなかったので、再びシングルルームで過ごすも6時になっても8時なってもトリプルルームは準備できない。
宿の責任者風のグラサン男が説明をしてきた。
「トリプルの客が帰ってきたら必ずその部屋を提供するからね。もう少し待ってくれ。そのトリプルの客が私をだましたんだよ。」
と自分の責任でないような言い方をしてきたので、余計に腹が立った。
「そんなら。チェックアウト時間を午前7時から午後8時に変更してよ。」
と交渉し、多少のエクストラを払って翌日午後8時までトリプルの部屋を使うことなった。
しかし、このときまだトリプルルームは開いていなかったのであるが。

10時過ぎにグラサン男がやってきた。
グラサン男は先ほどの勢いがなくなっていた
「トリプルの客は帰ってきたけど、今夜のバスがないからここにもう一泊させても良いか?あなたのために何をしたら良いか?」
と言ってきた。
グラサン男もさすがに悪いと思ったのか、
「シングルを2部屋提供するから別々で寝てね。チェックアウトも8時で良いよ。でもエクストラを払ってね。」
グラサンもシュンとしているし、こちらも話すのが面倒になってきたので早めに手を打とうと思ったが、一応エクストラ無しにしろーと言ってみるも、それはできないと言う事で「割引の割引」ということで支払いに関しての決着はついた。

寝る間際に良く考えてみるとトリプルを夜8時まで使えるのと、シングルを夜8時まで使えるではエクストラの料金が安くて当たり前だと気付いた。
しかし、了解しているのでいまさら交渉するのもなぁ。と思い。
何か釈然としないままベッドに横になったのであった。

プッタパルティの通り。

プッタパルティの通り。

ちなみにこの日はサイババの83歳の誕生日であったが、人が溢れかえらんばかりにいたということと83歳オメデトーの垂れ幕が飾ってあったことくらいでしかそれを感じなかった。
もっとお祭り騒ぎを期待していたのであるが・・・。

→プッタパルティ2日目 11月24日月曜日

同日のマメ旅行記はこちら
11月23日 インド8日目

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