バラナシ3日目 12月01日月曜日
早起きして川岸に向かった。
日の出に染まるガンジス河とそこで沐浴するヒンドゥー教徒を見るためである。
昼間は半そで1枚で丁度よい気温であるが、日の出前は肌寒く一枚の上着を羽織っていった。
川岸に出て空を見上げてみるとどうやら曇りのようで日の出は見ることができなそうであった。
曇り空のまま時間が経過し朝日を見ることはできなかったが、ヒンドゥー教徒たちは沐浴を熱心に行い祈りをささげていた。
この日も客引きが次から次へ押し寄せてきた。
ボートの運転手「ボート?一人75ルピー、二人150ルピー。1アワー。」
マッサージ「ハロー。マッサージ?ヤスイ!10ルピー。」
はっぱ売り「ハッパ、チョコ、シャブ。ノーポリスプロブレム。」
である。
ボートには乗ってみたかったのだが、朝の水上はボート混雑していたのでまたの機会にした。
昼飯を野外の手作りテラスで食べていたときのことである。
竹を組み合わせて作った頭上の屋根がバタバタバタと音をたて振動した。
何事かと思っているうちにまた、バタバタバタと別の箇所がなっている。
いったいなんなんだ?
と目を見張ると、屋根から塀の上に飛び移る黒い影が見えた。
ちびざるの兄弟がどこかの洗濯物を引っ掛けて遊んでいた。
カメラを向けるとカメラ目線でポーズを決めてくれた。
再び川沿いを歩きボートの客引きが寄ってきた。
二人で1時間100ルピーのプライベートとのことで、まじめそうなその彼のボートに乗ることにした。
名前はラジュー。
ラジューは23歳のヒンドゥー教徒、18歳の彼女がいるとうれしそうな顔で言っていた。
火葬場に近づくと
「写真は撮っては行けないよ。」
と言われた。
他のボートでは撮っているアジア人観光客がいたが、僕らはただ眺めるだけにしておいた。
2箇所目の火葬場では火葬をされずにボートに載せられる遺体があった。
ラジューが説明しくれた。
「あの遺体はサドゥー(ヒンドゥー教の出家者、年をとったヒンドゥー教徒は家を子供に譲りサドゥーになることがある)だよ。
出家した者は燃やされずにガンジス河の深いところに沈められんだ。
子供も燃やされずに沈められるんだけどね。
沈められた遺体は多くの魚につつかれて無くなるんだよ。」
と淡々と語る彼はまじめな顔をしていた。
サドゥーの遺体を載せたボートは河幅の中程の場所まで進んだあと、船が揺れたかな?と感じたときに沈められた。淡々とした作業であった。
夕飯は昼飯と同じ場所で食べた。
安くておいしくてフレンドリーなので気に入ったのだった。
ビールあるかい?とスタッフに聞くと
「今はないけど、ボスに言って調達してくるよ。」
と言っていた。ビールを扱うのには特別なライセンスが要るのだろうか?
それほど飲みたい訳ではなかったのでキャンセルし、カレーとガーリックライスと揚げ物と飲み物を注文、食後のチャイも飲んだ。
これだけ食べて二人で400円以下であった。
食堂にはボスの子供がウロウロしていた、1歳と5ヶ月だといっていたが、目の下に黒いラインを入れて化粧していた。
なんでも小さい頃はその子の目によくなるように化粧をするとのこと。
ただでさえかわいい子供がさらにかわいく見えるのであった。
この日は残念ながら朝日と染まるガンジス河を見ることができなかった。
翌日こそは見たいなと思っていたのと、二人とも体調を崩していたので、大事をとる意味でも早めに床についた。
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12月1日 インド16日目